つくられた倭寇像(書評:東京大学史料編纂所編『描かれた倭寇:「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』吉川弘文館2014.10)

著者: 恩田重直  投稿日: 2022/08/08, Mon - 08:00
『描かれた倭寇』
 

 倭寇、大半の日本人がそれなりのイメージをもっているのではないだろうか。本書は、倭寇を描いた2つの図巻の全貌をオールカラーで紹介する。

 一つは、第1章「『倭寇図巻』の魅力を探る」で取り上げられる東京大学史料編纂所に所蔵されるもの。もう一つは、第2章「二つめの倭寇図巻:『抗倭図巻』の発見」で紹介される中国国家博物館に所蔵されるものである。

 この2つの図巻、タイトルこそ違うが、構図、内容は非常に似通っている。第3章「比較検討『倭寇図巻』と『抗倭図巻』」では、両者の相違を分析し、最新の高精細デジタルカメラによる赤外線撮影の成果も披露しながら関係性を探る。

 続く第4章「3つめの倭寇図巻?:幻の『平倭図巻』」は、現在では図巻の所在が不明であるものの、同じような図巻がほかにも存在していた可能性に言及する。残されている図巻の解題を頼りに「抗倭図巻」と似ていたであろうことを指摘し、3つの図巻の制作背景、意図が整理される。

 最終章の第5章「倭寇の記憶:『太平抗倭図』」は、付録ともいうべき章で、中国国家博物館に所蔵される浙江省にある町での倭寇襲来を描いた図を紹介する。

 このように本書は、絵画で表現された倭寇三昧の一冊である。こと図巻は、幅約30センチメートル、全長が5メートル以上にも及ぶもので、本書では縮小されているとはいえ、その全貌をいつでも机上で眺められることは、重宝することこの上ない。

 本書の最大の成果は、肉眼では見えない文字を最新の技術で浮かび上がらせ、描かれた内容の年代を特定したことにあろう。「倭寇図巻」からは「弘治4年」、「抗倭図巻」からは「日本弘治3年」という文字が見つかり、1557年から1558年頃を描いたものであることが確実となった。

 従来から「倭寇図巻」が16世紀の倭寇を描いたものであることは、田中健夫などによって指摘されてきた※1。しかし、ここまで明確に年代を特定するまでには至らなかった。肉眼では確認できなかった以上、致し方ない。絵画史料は当時の様相を、視覚的で直観的に伝えてくれる反面、史料として扱う難しさがある。

 ところで、日本史では倭寇を、14~15世紀頃の「前期倭寇」と16世紀の「後期倭寇」に区別している。それは、両者で発生の要因、性質が異なることに由来する。この区別にしたがえば、本書は「後期倭寇」の絵画集となる。

 日本史であれ、中国史であれ、「後期倭寇」を対象とする研究者はほぼ例外なく、倭寇という言葉を使うことに疑義を呈する※2。「後期倭寇」は倭寇と呼ぶほど、倭人、すなわち日本人が活動の中心をなしていないからである。

 「後期倭寇」の人員構成について、よく引き合いに出されるのは『明実録』の中の記述で、中国人が圧倒的多数を占め、中でも福建の人たちが多く、ついで浙江の人たちが多かったとされる※3。活動の舞台もまた、それを反映するように、中国の浙江から福建、広東にかけての沿海部だった。

 しかし、本書でもこの言葉を用いているように、未だに根強く使われているのもまた事実である。倭寇は、当時の文献で少なからず使用されている呼称なので、使わざるを得ない側面もあろうが、無自覚に使うととんでもない誤解を招きそうで使用には細心の注意を要する。

 こうしたことを念頭に、もう一度、図巻を眺めてみると、文字史料から伝わってくる人員構成と全く異なることに気づく。和装、日本刀、髷を結っていたことを彷彿とさせる後退した頭髪……、明らかに日本人っぽく描かれた人物が多いのである。果たして、どこまで真実が描かれているのだろうか。

 ここに至り、むしろ倭寇という言葉がもたらしたイメージを忠実に描いたようにも思えてくる。こうした絵画が当時、どこまで普及していたのかはわからないが、言葉と画像が相互に補完し合い、堅固な倭寇像をつくりあげた、といえるのかもしれない。ややもすれば、現代まで受け継がれているといっても過言ではあるまい。だとすれば、言葉、そして画像のもたらすインパクトには恐れ入る。

 ではなぜ、明朝は実態にそぐわない倭寇という呼称を使い続けたのか。そこには、明朝のしたたかさが見え隠れしているように思えてならない。つまり、自国の民を中心とした海の荒くれものたちを管理できないという現実を覆い隠そうとしていたのではないか、という意味で。

 それは、倭寇を使い続けることで、多くの人に倭寇は外患ととらえられたのであれば、実態の伴わない仮想敵を創出したという点で奏功したといえる。一方、問題の解決を先送りにしたことも指摘できる。現実とは乖離した倭寇という言葉がもたらすイメージが、当時から現在に至るまで問題の所在を捉えにくくさせている面が少なからずあると思われるからである。

 16世紀から17世紀にかけての東アジア海域に目を向ければ、中国の海禁、日本の鎖国、海を通じた交流を完全に断絶したわけではないが、かなりの制限を設けた。それは、海を通じた交流が政権の基盤を揺るがしかねないと捉えられた証しであろうし、陸の支配者にとって海は管理の行き届かない場所であったことが露呈しているようにも思う。そして、この時、海に背を向けて解決を先送りにした問題は、今日まで続いているといえよう。

 このように本書は、絵画に隠された真実を考えさせられる一冊である。ちなみに、東京大学史料編纂所が所蔵する「倭寇図巻」は、同所のウェブサイトで公開されている※4。「倭寇図巻」の一部は教科書で見たかもしれないが、その全貌を改めて確認してみてはいかが。
 

 

 

 

タグ

Article Categories