砂糖に関係する官庁汚職を題材とする本小説は、言わずと知れた松本清張によるものである。最初の刊行から、すでに50年余りが経過しているが、著者が本書で投げかけた問いかけは現代社会にも通ずる。本書をより楽しむための読書案内を兼ねて、当時の時代背景とのかかわりに言及しつつ、書評を試みたい。
本書は、農林省の役人が札幌で接待を受けている描写からはじまる。砂糖をめぐる汚職が題材なはずなのになぜ札幌、という疑問が湧く。全編を通じて、札幌、ひいては北海道を舞台に物語が展開する訳ではないので、確かに農業や酪農が盛んな北海道は、農林省の役人の出張先としてうなずける。しかし、札幌から筆を起こさなければならなかった理由は他にないのであろうか。
砂糖と言えば、やはり砂糖黍とともに南西諸島を連想する。けれども、砂糖の原料は、砂糖黍だけではない。かたちが大根にも似た、甜菜からもつくられる。甜菜で有数の産地が北海道なのだ。
文庫改版4刷の末尾に掲載される多田道太郎の「解説」によれば、本書は1965年10月から1966年11月にかけて日本社会党の機関誌『社会新報』に連載されたものをもとにしているという。この連載時期を鑑みれば、砂糖黍の一大産地である沖縄はアメリカの統治下に置かれており、砂糖の国内生産において北海道に対する期待が大きかったであろうことがうかがえる。だとすれば、札幌からはじまることに合点がいく。
また、連載時期と前後する1966年9月には、共和製糖事件が発覚していることは興味深い。この事件は、製糖会社が不正融資を受け、その融資の一部が政界に流れていたことが明るみになった事件である。本書とのかかわりはわからないが、汚職を題材とした連載小説が発表されている最中に、現実世界でも同様なことが起きていることに、筆者の先見性を感じざるを得ない。
「解説」で「昔から砂糖は政党人の資金調達源になって」(p.255)いたと言うように、砂糖にまつわる汚職は決してこの時にはじまったものではない。精査した訳ではないが、直観的にそれらの汚職は、歴史的に日本が砂糖を輸入に依存していたことに原因があるように思う。これまた「解説」が指摘するように、1960年頃を描いたと推定される本書の背景には、1963年に実施されることになっていた砂糖輸入の自由化があろう。
国内での生産が微量であることに加え、輸入量も政府によって制限されているという状況下で、製糖会社には「自由化が実現するあと三年ぐらいの間にできるだけ割当てを多くもらい、一儲けしたくなった」(p.53)という動機が、関係官庁の役人への賄賂に発展する。つまり、企業としては輸入割当さえ得られれば、安定した収入になるという目算がある訳で、先行きを見通せる収入によって、賄賂以上のものが得られるという打算がある。
一方、逆の立場から見れば、利権を差配することで見返りを受けるということになる。見返りは何も金品だけではないが、見返りは実体のない権利によって発生する。では、その権利を握るためには何が必要なのか。それが曖昧きわまりない。そこには合理的には説明がつかない、暗黙のルールであったり、人間社会特有の力学であったり、そんな世の中の不条理が横たわっている。それを完膚なきまでに描き出したのが本書である。
ところで、松本清張の作品の多くは映像化されている。本書もまた然りである。ベストセラーを飛ばしまくった清張作品の中では、本書の増刷、再版は決して多くない方だと思われるが、それでもタイトルに示したように単行本から文庫版、そして文庫改版へと版を重ねている。これらの発行時期を調べてみると映像化と密接に関係していることに気付く。
文庫版が刊行されて1年余りを経た1975年10月にはNHKの「土曜ドラマ」、文庫改版が刊行される直前の1998年8月には日本テレビ系列の「火曜サスペンス劇場」、文庫改版4刷の刊行と同じ2009年12月にはTBS系列の「松本清張生誕100年スペシャル」として、3回ほどテレビドラマ化されている※1。本書で描かれた世の中の不条理が、映像作品としてどのように描かれるのか、それを楽しむのもまた一興であろう。
参考文献
・斎藤高宏「北海道の甜菜生産と糖業に関する『覚書』(下)」『農総研季報』第46号、pp.23-62、農林水産省農業総合研究所、2000.6(https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/kiho/attach/pdf/000630_kiho46_02.pdf)
・斎藤高宏「北海道の甜菜生産と糖業に関する『覚書』(上)」『農総研季報』第44号、pp.1-43、農林水産省農業総合研究所、1999.12(https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/kiho/attach/pdf/991231_kiho44_01.pdf)。
※1―テレビドラマの放映時期、キャストなどについては、「中央流沙」『ウィキペディア日本語版』(イギリス:ウィキメディア財団、最終更新2022.2.15、https://ja.wikipedia.org/wiki/中央流沙、2022.4.25閲覧)参照。また、NHKでのテレビドラマ化については、ペリー荻野「番組エピソード:土曜ドラマ『松本清張シリーズ中央流沙』(1975年)」『NHKアーカイブス:NHK放送史』(日本放送協会、https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=drama052、2022.4.25閲覧)に詳しい。
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