明治初期、測量技術をめぐる人間模様(書評:泉田英雄『明治政府測量師長コリン・アレクサンダー・マクヴェイン:工部省建築営繕、測量、気象観測への貢献』文芸社2022.4)

著者: 恩田重直  投稿日: 2022/08/21, Sun - 10:00
『マクヴェイン』

 アジア都市史研究の先達から一冊の本が届いた。それは、明治政府のお雇い外国人、コリン・アレクサンダー・マクヴェインの評伝だった。

 著者の泉田英雄は、『海域アジアの華人街:移民と植民による都市形成』という著書があるように、1980年代からシンガポール、マレーシア、香港、中国などをはじめ、アジアの都市研究を牽引してきた一人である。同時に、アジアにおけるイギリス人技術者の研究にも精力的に取り組み、数多くの論考を発表してきた。本書は、後者の成果の一端が刊行に結実したものとなる。

 

 

 本書では、マクヴェインの生まれ育ったスコットランドから筆を起こし、日本におけるマクヴェインの足跡を時系列で仔細にたどる。紙面の大半を占めるのは、マクヴェインが日本に滞在した1868年から1876年までの出来事で、当初、灯台建設のための技師として来日したお雇い外国人の顛末が詳らかにされる。

 明治政府の公文書を軸に、著者が発掘したマクヴェインとその家族、関係者の書簡や日記などで肉付けしながら、その後、明治政府の測量師長として活躍するマクヴェインの業績を追う。とりわけ、マクヴェインが勤務した内務省の測量事務所は1875年に失火し、記録も焼失したというから(p.244)、その空白を埋めた功績はきわめて大きいといえよう。

 一方で、時に引用が冗長で、焦点がぼやけてしまっている部分があるようにも感じる。もちろん、著者が長年の労力を費やして発掘した書簡や日記などは、貴重な史料であることは疑いない。発掘した史料に対する著者の思い入れの強さがひしひしと伝わってくる反面、もう少し整理できたのではないかと思う。

 ともあれ、本書は明治政府のお雇い外国人研究に一石を投じたものだが、書簡や日記などの引用に関しては原文がなく、後塵の研究者が利用しにくい側面がある。そんな不安を解消してくれるのは、文末に示された著者のウェブサイトである※1

 そこにはすでに、本書の英訳が掲載されており、引用された書簡や日記などの原文も見られる。加えて、紙面の都合で本書には掲載できなかったであろう図版も多数掲載されているし、刊行後に発覚した誤記や誤謬も訂正されている。デジタル化が進む中で、研究を整理し、公開していく一つの方法として大いに参考になる。

 ところで、評者は厦門の都市研究を志してからというもの、折につけ著者の研究に触れてきた。が、著者のアジアの都市研究とイギリス人技術者の研究との接点が見出せずにいた。もちろん、イギリス植民地都市の研究がイギリス公文書館へと誘い、そこでの史料がイギリス人技術者への研究に導いたであろうことは想像に難くない。

 しかし、イギリス人技術者の研究に対する熱意の所在がわからなかった。それは、著者の研究が、植民地都市建設とイギリス人技術者が直接結びつけられて論じられることが少なかったことにもよる。もちろん、テーマが異なる二つの研究を同時に進めることはある。けれども、両者は隣接していそうなテーマだけに腑に落ちなかった。本書のように、イギリス人技術者の研究は専ら日本とのかかわりに言及されてきた※2

 今回、幾度となく見てきた著者の略歴、「建設会社勤務を経て、青年海外協力隊に参加(マレーシア、アロースター技術学校教員)」(奥付)を改めて見て、はっとした。これまで、著者にとってマレーシアでの経験は、東南アジアの都市研究をはじめる一つのきっかけとしか考えていなかった。が、よくよく考えてみれば、マクヴェインが19世紀に日本を訪れたイギリス人技術者なら、著者は20世紀にマレーシアを訪れた日本人技術者だったのだ。

 これに気づいて、妙に納得した。そういえば、著者の研究には一貫して、技術ばかりでなく、文化なども視野に入れ、それらがどのように伝播していくのか、というテーマが根底にあるように思う。伝播の経路を明快にすることは魅力的である。評者も関心があるが、これを明らかにするのは容易なことではない。なぜなら、人々の営みから紡ぎ出される「もの」を題材にする場合、人間を取り巻く社会を描き出すことが不可欠だからだ。

 本書を読む限り、マクヴェインは埋もれていたに相違ないのだろうが、むしろ、消し去られていたといった方が的確なように思う。マクヴェインの知られざる業績もさることながら、マクヴェインを通して描かれる明治時代の測量技術をめぐる人間模様、そこにこそ本書の醍醐味がある。
 

 

 

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