からゆきさんを描く葛藤(書評:森崎和江『からゆきさん:異国に売られた少女たち』東京:株式会社朝日新聞出版2016.8[底本は、朝日新聞社1980.11とし、改題。原書は、朝日新聞社1976.5])

著者: 恩田重直  投稿日: 2023/07/26, Wed - 07:00
『からゆきさん』

 書名を『からゆきさん』として1976年に刊行された本書は、1980年に原題のまま文庫化された。その後、2016年に「異国に売られた少女たち」を副題に加える改題がなされた新装版が刊行され、今に至る。新装版の副題が物語るように「からゆきさん」とは、戦前に海外に出稼ぎに出た女性のことを指す※1

 評者はかつて、本書と同様にからゆきさんを扱ったノンフィクション、山崎朋子の『サンダカン八番娼館:底辺女性史序章』(筑摩書房1972.5)の書評を書いた※2。そこで、森崎和江の作品を読むことは、今後の課題としていた。その理由は2つある。

 1つは、山崎がからゆきさんを調査するにあたり、からゆきさん調査の先達として森崎に助言を求めていること※3。もう1つは、東南アジア史を専門とする早瀬晋三が、からゆきさんを題材にした山崎と森崎の作品を比較し、「『時代』のなかで書かれたという意味で山崎の作品は出色であったが、『時代』を超えて残る作品となったのは森崎のほうであった」と評していることである※4

 

 

 いずれにしても評者の脳裏には、森崎はからゆきさんを扱った第一人者として刻まれ、『からゆきさん』を読むべき一冊に列挙していた。そうしている間に、森崎の訃報に接することになる※5。存命中に読まなかったことを悔いつつ、ようやく本書を手にした。手元に届いた改題新装版の文庫は、再読の機運が高まることを当て込んでか、逝去間もない2022年7月30日に刊行された第2刷だった。

 読後の率直な感想は、期待外れの一言に尽きる。早瀬晋三の評価に過度の期待を寄せ過ぎたのかもしれない。評者には、山崎の作品の方が圧倒的に「『時代』を超えて残る作品」だと思った。その最たる理由は、森崎とからゆきさんとの間に埋めがたい距離を感じることにある。

 本書は5つの章からなり、それぞれには「ふるさとを出る娘たち」「国の夜あけと村びと」「鎖の海」「慟哭の土」「おくにことば」という見出しが付されている。いずれの章にも複数のからゆきさんが登場する。記述は、著者の聞き取りや実地見聞、当時の法令や新聞記事、書籍からの引用、そして著者の見解が入り乱れる。記述が散漫で、何ともまとめにくいのだが、力づくで要約すると次のようになろう。

 からゆきさんとして出国した実態に迫る「ふるさとを出る娘たち」。ロシアとのかかわりの中で生み出されたからゆきさんを描く「国の夜あけと村びと」。欧米へのからゆきさんと、領有化された台湾、朝鮮へのからゆきさんに言及する「鎖の海」。朝鮮から満洲にかけてのからゆきさんを描く「慟哭の土」。南洋を舞台にたくましく生きたからゆきさんを取り上げる「おくにことば」。そして、あとがきともいえる「余韻」で締めくくられる。

 明治から昭和初期に至る時間の流れを軸に、それぞれの時代背景に生きるからゆきさんを描き出す一方、各章を横断して登場するからゆきさんがいる。おキミさんと呼ばれるそのからゆきさんは、森崎の友人の養母となる。本書のもう一つの軸におキミさんを据えたのは、森崎のからゆきさん体験の支柱となる身近な存在だったからであろうことは想像に難くない。

 しかし、全編を通して、森崎がおキミさんと面と向かって対話した気配が微塵も感じられないのだ。その点、からゆきさんと寝食をともにし、直接対話している臨場感がひしひしと伝わってくる山崎の作品に引けを取る。森崎のおキミさんに対する腫れ物に触るような態度は、一面ではからゆきさんを描くことへの葛藤を示していよう。しかし、一面では友人を介して知ったおキミさんの生きざまを、当時の法令や新聞記事の類でパッチワークのように体よくつないでいるだけのように感じてさせてしまうのである。

 本書を読む限りでは、からゆきさんという存在に光を当てたという点で評価できよう。しかし、作品としての完成度は低いと言わざるを得ない。なによりも、本書を執筆した森崎の助言から山崎の作品が生まれたとはにわかに信じがたい。そこで、本書の執筆に至る過程に触れておこう。

 森崎は、本書の最後で「おくにことば」の中に登場する「おヨシさん」については、かつて学芸書林の『棄民』で「あるからゆきさんの生涯」として、ふれたことがあります」とする※6。これは、本書の刊行から7年ほど前に遡る1969年に刊行された『ドキュメント日本人』の第5巻「棄民」に収められた一編を指す※7。森崎の原点を探るべく、この一編にも目を通すことにした。

 

 

 てっきり、この一編を『からゆきさん』に転載したのかと思いきや、読み比べてみると、かなり手が加えられていることに気づく。あらすじは同じであるが、同一人物が書いたとは思えないほど筆が走っている。一気に読み終え、この一編を読んだ山崎が森崎に助言を求め、一連の山崎作品につながったであろうことに、ようやく合点がいった。

 この一編は、「棄民」という与えられたお題に対して書かれたものになる。棄民とは、国家が救済せずに見捨てた人々を指す。森崎にしてみれば、棄民という補助線が引かれたことで、からゆきさんにとっての国家を考える契機になったと考えられる。この一編で森崎が紡いだ棄民としてのからゆきさんは、国家の意思とは裏腹に、国家を背負って立つ、絶望の中の希望ともいえる女性像だった。

 この一編にはまだ続きがある。1973年に刊行された河野信子編『女の系譜:内なる女性史』にもこの一編が加筆採録された。編者の河野信子は「対話のための解説」の中で、「『からゆきさん』の存在は、女性史のなかでは取り去ることのできぬ重みをもっています」とする※8。女性史が活発化していく中で、森崎の一編がバイブル的な扱いになっていたことがうかがえる。

 

 

 その後、月刊総合誌『現代の眼』の1974年6月号に「からゆきさんが抱いた世界」という小論を寄せている※9。『からゆきさん』の刊行前になるが、『からゆきさん』の要素が多分に詰まった内容である。『からゆきさん』の執筆依頼の時期は定かではないが、森崎が着実にからゆきさん調査を進めていることが伝わってくる。

 森崎のからゆきさんに関する執筆は、このような経過をたどる。本書は、森崎が最初の一編以来、進めてきたからゆきさん調査の成果をまとめる機会であったといえる。からゆきさんがあまり注目されていなかった最初の執筆と大きく異なるのは、森崎の一編に刺激され、求められて助言もした山崎の作品がすでに刊行され、社会の「底辺」としてのからゆきさんの存在が世に問われていたことである。

 上述したように、最初の一編は大幅な改稿がなされて本書に盛り込まれている。読み比べてすぐに気づくのは、最初の一編で女衒として知られる村岡伊平次の自伝へ言及した記述が、本書では削除されていることである。思い起こせば、村岡伊平次は山崎が徹底的に調査した一人で、その成果は山崎の『サンダカン八番娼館』に収められている。森崎が先の一編で村岡伊平次に言及した箇所はわずかだが、本書でまったく言及していないことから察するに、森崎は本書の執筆にあたり、山崎の作品を意識していたことがうかがえる。

 本書で森崎が、からゆきさんに対して山崎とは異なるアプローチを試みようとしていたと考えれば、本書で当時の法令や新聞を持ち出してきたのにも納得がいく。森崎の最初の一編、山崎の作品は、聞き取り調査を中心とした一事例であり、からゆきさんの全体からすれば部分である。一方、新聞などを使えばある程度全体が把握できる。実際、森崎は新聞でからゆきさんを指す「密航婦」という言葉を発見し、丹念に記事を拾い集め「密航少女たちの出身地」という表を作成している※10

 改めて『からゆきさん』の構成を見直すと、時の移り変わりによる政治情勢の変化や法制度の整備に注目し、それらに伴うからゆきさんの出港地や渡航先をはじめとした変化を描き出そうとしていることが読み取れる。いうなれば、からゆきさん全史である。そして、森崎のからゆきさんに対する眼差しに通底するのは、棄民としてのからゆきさんの執筆で見出した国家を背負って立つ、絶望の中に希望を見出す強くたくましい女性像だったように思う。

 しかし、本書のもう一つの軸に据えた森崎の原体験のからゆきさん、友人の養母であるおキミさんは、森崎が念頭に置いていたからゆきさん像とはかけ離れていた。絶望に打ちひしがれたおキミさんの人生から、希望をすくいとるのは困難をきわめたように映る。結果、皮肉なことに、おキミさんは山崎が名付けた「底辺女性」を彷彿とさせる。そこに、森崎の苦悩、あるいは葛藤が透いて見える。本書に感じる読みにくさは、こんなところにあると思われる。

 子細なところに目を移せば、山崎に助言した森崎の作品だけあって、至るところに現地調査から得られる示唆があふれている。長年来、福建、台湾、そして南洋にかかわってきた評者には、森崎が天草で採集したシンガポールを指す言葉「シンガッパ」は、とりわけ強く印象に残った。聞き覚えのある言葉だったからだ。シンガポールは漢字で新嘉坡と表記するが、発音は方言によって異なる。評者の耳を頼りに、中国語の方言での発音をカタカナで表記すれば、閩南語では「シンガッポ―」、広東語では「センガッポー」となる。

 つまり、森崎が現地で採集したシンガッパは、中国語の方言からきていることが想起されるのだ。これについて、森崎は深く言及していないが※11、この憶測が的を得ているのならば、からゆきさんたちが滞在した当時のシンガポールはイギリス領植民地であったが、彼女たちが暮らした界隈では英語以上に中国語の方言が飛び交っていたであろうことを指摘できる。おそらく今日では採集できないであろう言葉であることを考えると、調査を記録として残すことの大切さを教えてくれる。

 そろそろまとめに入ろう。冒頭で本書を手にした2つの理由を挙げた。森崎の助言と山崎の著作の関係についてはすでに触れたので、早瀬の評価について言及しておきたい。まず、からゆきさんの必読書といわんばかりに、森崎の作品を推し、読むに至らせた早瀬の一文には感謝したい。しかし、森崎と山崎の作品に優劣ともとれる評価を付したことには疑義を呈さざるを得ない。

 森崎と山崎、双方の作品を読んで思うのは、両者が切っても切れない関係にあることだ。森崎の作品がなければ、山崎の作品は生まれなかっただろうし、山崎の作品がなければ、森崎の本書はこのようなかたちにならなかっただろう。また、森崎の最初の一編に、棄民というお題が与えられていたことも無視できない。からゆきさんに棄民というレッテルが貼られたからこそ、森崎は海外で日本国民としての気概を示すからゆきさん像を見出そうとしたのではないか。逆に、山崎は森崎のからゆきさん像とは対照的に底辺の女性としての側面を描こうとした。このような関係にある両者の作品に、どうして優劣をつけられようか。

 もし、両者の作品に優劣をつけてしまえば、そこで思考は停止する。手放しで評価できるものがあるなら、それ以上やるべきことが見出せないからだ。そのような評価を下す以上、新たなからゆきさん像は期待できない。現に、森崎と山崎の作品が世に問われて50年前後を経ても、森崎や山崎の視点から逸脱した作品、あるいは研究が現れていないことが※12、暗に示していよう。両者の作品に優劣をつける以前に考えるべきは、同時期に対極的な視点をもつ二つの作品が生まれたという事実である。この事実をあらゆる角度から検証し、相対化できない限り、新たな地平は開けないだろう。

 評者は、少なからず本書に読みにくさを感じた。もし、本書を読み進めるのに困難を感じたら、ぜひ森崎の最初のからゆきさん作品となる「あるからゆきさんの生涯」や、本書のエッセンスが詰まった「からゆきさんが抱いた世界」を併読することをお薦めしたい。そこには、本書とは一味違う森崎ワールドがあるので。

 

 

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