アジアを目指し、西欧諸国が相次いで航路の開拓に明け暮れた15世紀末。16世紀に入ると航海技術が上がるとともに、大型帆船であるガレオン船の開発も進む。16世紀半ばには、アジアの海に西欧諸国の海船が頻繁に出没するようになっていた。
本書は16世紀から17世紀にかけてのガレオン貿易、すなわちフィリピンのマニラとメキシコのアカプルコとの間でなされた交易の実態を、中国の陶磁器に注目しながら解き明かそうとするものである。
著者による「あとがき」(p.195)によれば、本書は2014年度に立教大学大学院史学研究科に提出した博士論文をもとにしているという。そこに、記されているタイトルは英文であることから、博士論文は英語で書かれたものらしい。ついでに、そのタイトルを邦訳しておくと『16世紀から17世紀にかけてのアジアとアメリカの貿易構造とネットワーク』となる※1。なんとも壮大なテーマである。
博士論文の本体を見ていないので、本書がその一部なのか、全体なのか、それとも大幅に改稿したものなのか、よくわからないが、本書は次のような目次で構成される。
序章
第1章 ポルトガル人とスペイン人のアジア海域進出
第2章 マニラ・ガレオン貿易における商業と商人
第3章 ヌエバ・エスパーニャにおける中国陶磁器の輸出
第4章 スペイン社会における中国磁器とアジア商品の流通
終章
この目次を踏まえ、本書を要約するならば、ポルトガル人とスペイン人がアジアに出向き(第1章)、マニラやアカプルコにガレオン貿易の拠点をつくり(第2章)、中国の陶磁器をヌエバ・エスパーニャに運び(第3章)、それらはスペインにも運ばれた(第4章)ということになろう。
読後感を一言で表すならば、読み進めるのに苦労した一冊、となる。世界史の素養がないことを曝け出すようで恥ずかしい限りだが、タイトルにある「ガレオン」も、章のタイトルをはじめ、本文中に頻出する「ヌエバ・エスパーニャ」も知らなかった。これらはほんの一例に過ぎないが、そのうち著者による明快な説明があるだろうと高をくくり、読み進めるものの、その気配は微塵も感じられない。ついぞ、ウィキペディアの世話になることになった。
結局、読了まで辞書、事典、地図、サブテキストの類が欠かせなかった。おかげで、見聞は広がったが。まあ、これらの問題は評者の素養の足りなさで片づけられる。では、肝心の内容はどうだろうか。
本書の題材を考慮して表現すれば、どこに着くかわからずに大海原をさまよっている感じ、とでもなろうか。つまり、何を明らかにするためにその素材が取り上げられ、分析めいたことがなされているのかがわからないのだ。中々読み進められなかった背景には、こんなこともある。
もちろん、目的地の断片は見え隠れしている。「ガレオン貿易の具体的な構造」の解明が全体に通底する目的だろうし、その切札として「中国陶磁器」を設定しているはずだ。しかし、各章で設定される目的や問いに対して、素材の選び方や分析方法、そして考察が妥当なのか、という問題は逐一考えさせられた。それは、分析を通して導き出される考察に、「おそらく」「可能性が高い」「推察される」「考えられる」「らしい」が多用されていることに端的に表れている。これでは、何が明らかにされたのか、わからない。
本書は研究書なので、それなりに先行研究が引き合いに出される。しかし、先行研究が指摘していない、明確にしていない、とは書かれるものの、先達の研究が到達した地点が示されることはない。これでは、航海を導く羅針盤がないに等しい。先達の到達点に言及することで、自らの研究の立ち位置が相対化されるはずだからだ。先行研究批判の欠如は、著者の到達点も霞んでしか見えない。
こうした内容を踏まえ、よく出版できたものだと感心する。刊行には、科学研究費助成事業の研究成果公開促進費(学術図書)を受けているようである※2。だとすれば、識者に本書は売れることを度外視しても、社会に問うべきだと判断されたことになる。評者はそれに答えるべく、本書を評したつもりだ。審査した方々の評価の所在が知りたいものである。
とはいえ、評者が本書を手にしたのは、タイトルに画期的なものを感じたからである。著者が「ガレオン貿易の実態は、絹と銀だけが重大な部分を担い、今日考えられているような大規模な交易ネットワークを作っていたのではない」(p.4)と指摘するように、これまでの研究では、銀、絹、茶、綿花、砂糖、香辛料、アヘン……といった個々の商品が大々的に取り上げられることはあっても、交易の全体像が明らかにされてきたとは言い難い。
交易の根底には、その地域には少なかったり、なかったりするものを交換するという側面があろう。交易船が運んだものは多種多様だったはずで、これまで余り注目されてこなかった商品の中にも、まだまだ人々の暮らしを激変させたものが数多くあったと見ている。そして、現代の我々の暮らしがその延長線上に成り立っているのは、紛れもない事実である。著者の今後の研究に期待したいすることとして、書評を終えたい。
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※1―理由はわからないが、立教大学に提出された博士論文を国会図書館の蔵書検索では探し出せない。かろうじて、立教大学の図書館で書誌情報を確認することができ(「立教大学図書館蔵書検索」、https://opac.rikkyo.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=BB50370342&opkey=B165146692851779&start=1&totalnum=4&listnum=2&place=&list_disp=50&list_sort=0&cmode=0&chk_st=0&check=0000、2022.5.3閲覧)、英文で書かれたものであることがわかる。なお、原タイトルは、「Trade structure and network between Asia and America during the 16th and 17th centuries : Portuguese intervention in the Manila galleon trade」であり、「ポルトガルのマニラ・ガレオン貿易への介入」というサブタイトルが付されている。
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