パンフレット「常磐ホテル囲碁将棋:半世紀の激闘の記録」(甲府:株式会社常磐ホテル2019.7改訂)掲載写真を加工して引用
2021年の晩秋、紅葉狩りに出かけた。向かったのは、甲府は昇仙峡。甲府といえば、温泉にも恵まれた土地でもある。中でも、甲府市に隣接する笛吹市にある石和温泉の知名度が高い。が、今回は808年に弘法大師が開湯されたと伝えられる湯村温泉を訪ねた。
宿は、1929年創業の常磐ホテル。秋の日は釣瓶落とし、入館するとロビー越しに、深紅に染まる欅が闇夜に照らし出されていた。常磐ホテルは、手入れの行き届いた日本庭園もさることながら、囲碁と将棋のタイトル戦がたびたび行われることでも知られる。
囲碁や将棋のタイトル戦は五番勝負とか、七番勝負で行われ、一局ごとに場所が変わる。常磐ホテルが会場となるのは後半が多いようである※1。つまり、それまでに勝負が決してしまえば、常磐ホテルでの対局が実現することはない。
対局が常磐ホテルまでもつれ込むということは大一番となるわけで、その時はさぞかし熱気に満ち溢れるのだろう。そんな熱気のほんの一部に過ぎないとは思うが、伝わってくるギャラリーが館内に常設されている。
「名人の小径」と名付けられたギャラリーには、歴代のタイトル戦の写真や棋士たちの揮毫が並ぶ。囲碁も将棋も嗜まないが、風呂上りにその展示に見入ってしまった。囲碁と将棋の対局の模様を伝える写真が、あまりにも対照的だったからだ。

それはひとえに、洋装の囲碁、和装の将棋だったことにある。囲碁にしても、将棋にしても、若手の台頭が著しい。囲碁では井山裕太や一力遼らの洋装姿、将棋では藤井聡太や豊島将之らの和装姿がすぐに思い浮かぶ人も少なくないのではなかろうか。
棋士の服装については多くの人が関心を抱いているようだ。ウェブサイト上にはそれなりに記事がある※2。これらが指摘するのは、服装に決まりはない、ということである。つまり、慣習になるわけだが、なぜ囲碁で洋装が、将棋で和装が定着したのだろうか。
囲碁のタイトル戦で洋装が定着していく経緯は、1960年代半ばに中国人棋士の林海峰が台頭してくることがきっかけになっているようである※3。一方、将棋のタイトル戦ではいつ頃からかわからないが、今日では和装がほぼ義務となっているらしい※4。
これらは、今日の服装の直接的なルーツに言及するものである。が、より深層では、古代に海外からもたらされた囲碁や将棋が、日本で浸透していく過程で生じた変化が深く関係しているように思えてならない。
そこで、囲碁や将棋の日本で起きた変化に注目しつつ、今日の棋士の服装を考えてみたい。なお、きちんと論ずるには検証が必要であるが、それは今後の課題として、ここでは仮説を提示するにとどめる。
囲碁にしても、将棋にしても、その伝来については諸説あるようだが※5、いずれにしても海外からもたらされたであろうことは共通している。そこで、伝来後に日本でなされた改良に注目してみたい。服装に通ずるものとして、盤とルールの2つが挙げられるように思う。
どこから伝来したにせよ、当初の盤は今日のタイトル戦で使用されるような分厚いものではなく、薄い木板だったのではないだろうか。なぜなら、海外では床に座るという生活習慣はほとんど見られず、椅子に座り、机の上で遊戯していたと考えられるからである。
ところが、日本では床に座って遊んだ。これが、日本ならではの改良につながる。盤の下に脚がつくのである。11世紀に書かれたとされる『源氏物語』を絵画化した「源氏物語絵巻」には、囲碁を打つ情景が描かれており、盤に脚がついていることが確認できる※6。
盤面が高くなるように改良したのは、将棋も同じだろう。これによって、対局の際の姿勢が正されるとともに、和装の袖で石や駒を不用意に動かしてしまうということが少なくなったと思われる。つまり、日本の生活習慣が盤を改良に導いたと言えよう。
このようにして生み出された日本特有の盤を使用することは、床に座って打つ、指すということが前提となる。それは、タイトル戦の会場となるホテルや旅館の部屋が畳敷きの和室であることからも察しが付く。
常磐ホテルでは、囲碁でも将棋でも日本庭園を囲むようにして建てられた離れにある「九重」と呼ばれる部屋で開催される。対局で両者が相まみえるのは12.5畳の和室である。ちなみに、建替前の「九重」は作家の山口瞳が好んで宿泊していた部屋でもあるらしい※7。
次にルールに目を移すと、囲碁は改良されなかったのに対して、将棋は改良された。中でも中世に考案されたという、相手から取った駒を再使用できるルールは画期的だったらしい※8。これによって、将棋は着実に日本化が進んだと言える。
ルールに日本独自の変更が加えられなかった囲碁で、洋装化が早く進んだのもうなずける。万国共通のルールであれば、たとえ日本の囲碁界であっても、外国人の参入障壁が低いからである。
タイトル戦の出場資格を得た外国人棋士にとって、主催者が決める会場は受け入れざるを得ないが、服装は自由に選ぶことができた。すでに作家の近藤啓太郎が指摘しているようであるが※9、和装に馴染みのない外国人が和装以外を選択するのは必至であろう。
万国共通のルールは国をまたいだ対戦も容易にする。近年では囲碁の国際大会も多いようであるが※10、主催者は当然、和室を会場にはしない。対局は、テーブルに脚のない盤を置き、椅子に座って行われ※11、各国の棋士は基本的に洋装である。
一方、日本化された将棋では世界的な大会がない※12。将棋に類するものは様々な国にあるが、異種格闘技のように、おいそれと対戦できないのだ。海外との交流が起きにくかったことが、将棋のタイトル戦で洋装の棋士の登場が遅れた一因にあろう※13。
囲碁でも、将棋でも、洋装の棋士の登場以来、タイトル戦は和装でなければならないという見解がそれなりにあるようだ。囲碁や将棋が日本に受け入れられていく過程で行われた盤の改良を踏まえ、この見解を整理すると、次のようになるのではなかろうか。
タイトル戦では、日本仕様に改良された脚付きの盤が使用される。脚付きの盤は、床に座ることを前提にしているので会場は和室が選ばれる。和室で対局するからには和装でなければならない、と。
だとすれば、伝来してから千年以上の歳月の中で、日本の生活習慣に合わせた改良が加えられた結果、囲碁や将棋は日本独自の文化に昇華されたと言えよう。ここに、囲碁や将棋が日本の伝統的な娯楽として確立されたことを見る。
結局のところ、床に座って生活するという日本の伝統的な暮らしに合わせて改良された囲碁や将棋の盤という「もの」は、今日では翻って、使用される空間を限定し、さらには服装までも規定していると言えそうである。
※13―「第1期竜王戦」『弦巻勝のWeb将棋写真館』(公益社団法人日本将棋連盟2016.1.13更新、https://www.shogi.or.jp/photo_gallery/025.html、2022.5.14閲覧)は、1988(昭和63)年の第1期竜王戦で挑戦者の島朗がアルマーニのスーツを着用して対局したことを紹介している。
閉じる※12―1999年から公益社団法人日本将棋連盟の主催により「国際将棋フォーラム」が開始され、そのイベントの一つとして各国または地域の代表による「国際将棋トーナメント」が行われているが、世界選手権というよりは、「日本の伝統文化である将棋の国際的な普及・発展」を目指した「文化交流や国際親善を目的として」いる(「国際将棋フェスティバルとは」『国際将棋フェスティバル2021』公益社団法人日本将棋連盟2021.9.?、https://isf.shogi.or.jp/about.html、2022.5.13閲覧)。ちなみに、2021年に行われた第8回大会はオンラインで開催された。
閉じる※11―「テレビ囲碁アジア選手権戦」(2018.5.4最終更新、http://www.Godb.jp/cgi-bin/title/world/asia_tv.htm、2022.5.13閲覧)には、1992年の対戦の画像が掲載されている。
閉じる※10―国際大会の草分け的なものとして、「テレビ囲碁アジア選手権」が挙げられよう。「テレビ囲碁アジア選手権戦」(『ウィキペディア:フリー百科事典』サンフランシスコ:ウィキメディア財団2021.11.1最終更新、https://ja.wikipedia.org/wiki/テレビ囲碁アジア選手権戦、2022.5.13閲覧)によれば、「日中テレビ碁」が1979、1983、1984年にNHKにより行われ、1985年からは「日中テレビ囲碁選手権戦」が行われ、その後進として1989年から「テレビ囲碁アジア選手権戦」が行われたという。なお、現在の国際大会については、「国際棋戦」(『日本棋院』公益財団法人日本棋院2022.4.11現在、(https://www.nihonkiin.or.jp/match/international/、2022.5.14閲覧)参照。
閉じる※9―yomumirukakuが「【囲碁】小説家・近藤啓太郎による「対局と和服」に関する見解」(『令和に囲碁と将棋を語る(Hatena Blog)』京都:株式会社はてな2020.11.12、https://Goshogi2019.hatenablog.jp/entry/2020/11/12/030205、2022.5.12閲覧)で近藤啓太郎『勝負師一代:囲碁専門棋士の実態』(東京:ぶっくまん、ペップ出版、1976)の一節を引用し、近藤啓太郎の和装への見解を紹介している。
閉じる※7―牛蒡「文人の宿」(『王座戦中継Blog』2013.10.20、https://kifulog.shogi.or.jp/ouza/2013/10/post-89e7.html、2022.5.13閲覧)の教示による。なお、離れの建替は、設計・監理を株式会社柳建築設計事務所(http://www.y-a.co.jp、2022.5.13閲覧)が担当し、2002年10月に竣工したと見られる(「山梨県:湯村温泉松の緑園常磐ホテル離れ」『旅館』株式会社柳建築設計事務所、http://www.y-a.co.jp/in/rsp_08.html、2022.5.13閲覧)。
閉じる※6―「第22回 日本の囲碁―白と黒の戦い―:第1章文学作品にみる囲碁~古代から中世まで~」『本の万華鏡』(国立国会図書館、https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/22/1.html、2022.5.13閲覧)など参照。なお、正倉院に所蔵される「木画紫檀碁局」(『宮内庁』宮内庁、https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures?id=0000010084、2022.5.13閲覧)なども、脚がついているが、脚を含めた全高は12.7センチメートルであり、「源氏物語絵巻」などで描かれる碁盤はこの高さにさらに脚をつけたように見受けられる。
閉じる※5―囲碁については、「囲碁の歴史」(公益財団法人日本棋院、https://www.nihonkiin.or.jp/teach/gakkouGo/history.html#:~:text=囲碁のはじまりは、四,広まったといわれています。、2022.5.8閲覧)で、中国を起源とし、日本へは5世紀頃に朝鮮から伝来したとする説が有力であると紹介されている。将棋については、「日本将棋の歴史」(公益社団法人日本将棋連盟、https://www.shogi.or.jp/history/story/、2022.5.8閲覧)で、起源は古代インドのチャントランガとする説が有力で、日本へは中国、朝鮮を経て伝来したとする説と、東南アジアから伝来したとする説の2つがあるとしている。
閉じる※4―「藤井聡太七段31年ぶり新人王最年少V記録更新 “和服問題”解決に王手!?」(『東スポWeb』東京:株式会社東京スポーツ新聞社2018.10.18、https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1160062/、2022.5.12閲覧)では、「和服で臨まなければならないという規定はないですが、ほぼ義務だと思ってもらっていい」という将棋連盟関係者の談話を紹介している。
閉じる※2―たとえば、将棋については、松浦彩「勝負服は着物:服装に決まりはある?」(『読売新聞オンライン』東京:株式会社読売新聞東京本社2021.5.27、https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/feature/CO049374/20210527-OYTAT50033/、2022.5.7閲覧)、樋口薫「棋士の和服に重なる思いは:藤井聡太七段がタイトル戦で見せた羽織袴」(『東京新聞:Tokyo Web』東京:中日新聞社東京本社2020.6.28、https://www.tokyo-np.co.jp/article/38496、2022.5.8閲覧)などがあり、囲碁については、囲碁や将棋の愛好家yomumirukakuによるウェブログ「【囲碁と将棋】タイトル戦の番勝負に和服は必要か。」(『令和に囲碁と将棋を語る(Hatena Blog)』京都:株式会社はてな2019.9.10、https://Goshogi2019.hatenablog.jp/entry/2019/09/10/064210、2022.5.7閲覧)などがある。
閉じる※1―常磐ホテルで入手したパンフレット「常磐ホテル囲碁将棋:半世紀の激闘の記録」(甲府:株式会社常磐ホテル2019.7改訂)に収められた千喜良忠「決着の常磐ホテル」からの示唆による。なお、牛蒡「竜王戦第6局こぼれ話。丸山九段の昼食の量が多かった理由には、常磐ホテルのおもてなしがあった?」(公益社団法人日本将棋連盟2017.1.10、https://www.shogi.or.jp/column/2017/01/296.html、2022.5.7閲覧)という記事では、著者の牛蒡が「常磐ホテルは番勝負の後半に対局が組まれることが多い印象があります。」と常磐ホテルの営業部長、小沢行広氏に聞き、「番勝負の後半でも構いませんので遠慮なくいってくださいと、棋戦の担当者さまにお伝えしています。」と回答されたことを記している。ちなみに、将棋の第80期名人戦七番勝負では、第6局(2022年6月7、8日)の会場として常磐ホテルが予定されている(「第80期名人戦 開催地決定のお知らせ」東京:公益社団法人日本将棋連盟2022.2.4更新、https://www.shogi.or.jp/news/2022/02/80.html、2022.5.7閲覧)。また、囲碁の第46期棋聖戦七番勝負では、第4局(2022年2月18、19日)が常磐ホテルで行われた(「第46期棋聖戦七番勝負 日程・開催地のご案内」『関西棋院』一般財団法人関西棋院2021.11.25、https://kansaikiin.jp/wp/2021/11/25/第46期棋聖戦七番勝負%E3%80%80日程・開催地のご案内/、2022.5.7閲覧)。
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