洋装の囲碁、和装の将棋、その背景にあるもの

著者: 恩田重直  投稿日: 2022/05/16, Mon - 19:00
「囲碁と将棋」
パンフレット「常磐ホテル囲碁将棋:半世紀の激闘の記録」(甲府:株式会社常磐ホテル2019.7改訂)掲載写真を加工して引用
 

 2021年の晩秋、紅葉狩りに出かけた。向かったのは、甲府は昇仙峡。甲府といえば、温泉にも恵まれた土地でもある。中でも、甲府市に隣接する笛吹市にある石和温泉の知名度が高い。が、今回は808年に弘法大師が開湯されたと伝えられる湯村温泉を訪ねた。

 宿は、1929年創業の常磐ホテル。秋の日は釣瓶落とし、入館するとロビー越しに、深紅に染まる欅が闇夜に照らし出されていた。常磐ホテルは、手入れの行き届いた日本庭園もさることながら、囲碁と将棋のタイトル戦がたびたび行われることでも知られる。

 囲碁や将棋のタイトル戦は五番勝負とか、七番勝負で行われ、一局ごとに場所が変わる。常磐ホテルが会場となるのは後半が多いようである※1。つまり、それまでに勝負が決してしまえば、常磐ホテルでの対局が実現することはない。

 対局が常磐ホテルまでもつれ込むということは大一番となるわけで、その時はさぞかし熱気に満ち溢れるのだろう。そんな熱気のほんの一部に過ぎないとは思うが、伝わってくるギャラリーが館内に常設されている。

 「名人の小径」と名付けられたギャラリーには、歴代のタイトル戦の写真や棋士たちの揮毫が並ぶ。囲碁も将棋も嗜まないが、風呂上りにその展示に見入ってしまった。囲碁と将棋の対局の模様を伝える写真が、あまりにも対照的だったからだ。

名人の小径
タイトル戦の写真と名人の揮毫

 それはひとえに、洋装の囲碁、和装の将棋だったことにある。囲碁にしても、将棋にしても、若手の台頭が著しい。囲碁では井山裕太や一力遼らの洋装姿、将棋では藤井聡太や豊島将之らの和装姿がすぐに思い浮かぶ人も少なくないのではなかろうか。

 棋士の服装については多くの人が関心を抱いているようだ。ウェブサイト上にはそれなりに記事がある※2。これらが指摘するのは、服装に決まりはない、ということである。つまり、慣習になるわけだが、なぜ囲碁で洋装が、将棋で和装が定着したのだろうか。

 囲碁のタイトル戦で洋装が定着していく経緯は、1960年代半ばに中国人棋士の林海峰が台頭してくることがきっかけになっているようである※3。一方、将棋のタイトル戦ではいつ頃からかわからないが、今日では和装がほぼ義務となっているらしい※4

 これらは、今日の服装の直接的なルーツに言及するものである。が、より深層では、古代に海外からもたらされた囲碁や将棋が、日本で浸透していく過程で生じた変化が深く関係しているように思えてならない。

 そこで、囲碁や将棋の日本で起きた変化に注目しつつ、今日の棋士の服装を考えてみたい。なお、きちんと論ずるには検証が必要であるが、それは今後の課題として、ここでは仮説を提示するにとどめる。

 囲碁にしても、将棋にしても、その伝来については諸説あるようだが※5、いずれにしても海外からもたらされたであろうことは共通している。そこで、伝来後に日本でなされた改良に注目してみたい。服装に通ずるものとして、盤とルールの2つが挙げられるように思う。

 どこから伝来したにせよ、当初の盤は今日のタイトル戦で使用されるような分厚いものではなく、薄い木板だったのではないだろうか。なぜなら、海外では床に座るという生活習慣はほとんど見られず、椅子に座り、机の上で遊戯していたと考えられるからである。

 ところが、日本では床に座って遊んだ。これが、日本ならではの改良につながる。盤の下に脚がつくのである。11世紀に書かれたとされる『源氏物語』を絵画化した「源氏物語絵巻」には、囲碁を打つ情景が描かれており、盤に脚がついていることが確認できる※6

 盤面が高くなるように改良したのは、将棋も同じだろう。これによって、対局の際の姿勢が正されるとともに、和装の袖で石や駒を不用意に動かしてしまうということが少なくなったと思われる。つまり、日本の生活習慣が盤を改良に導いたと言えよう。

 このようにして生み出された日本特有の盤を使用することは、床に座って打つ、指すということが前提となる。それは、タイトル戦の会場となるホテルや旅館の部屋が畳敷きの和室であることからも察しが付く。

 常磐ホテルでは、囲碁でも将棋でも日本庭園を囲むようにして建てられた離れにある「九重」と呼ばれる部屋で開催される。対局で両者が相まみえるのは12.5畳の和室である。ちなみに、建替前の「九重」は作家の山口瞳が好んで宿泊していた部屋でもあるらしい※7

 次にルールに目を移すと、囲碁は改良されなかったのに対して、将棋は改良された。中でも中世に考案されたという、相手から取った駒を再使用できるルールは画期的だったらしい※8。これによって、将棋は着実に日本化が進んだと言える。

 ルールに日本独自の変更が加えられなかった囲碁で、洋装化が早く進んだのもうなずける。万国共通のルールであれば、たとえ日本の囲碁界であっても、外国人の参入障壁が低いからである。

 タイトル戦の出場資格を得た外国人棋士にとって、主催者が決める会場は受け入れざるを得ないが、服装は自由に選ぶことができた。すでに作家の近藤啓太郎が指摘しているようであるが※9、和装に馴染みのない外国人が和装以外を選択するのは必至であろう。

 万国共通のルールは国をまたいだ対戦も容易にする。近年では囲碁の国際大会も多いようであるが※10、主催者は当然、和室を会場にはしない。対局は、テーブルに脚のない盤を置き、椅子に座って行われ※11、各国の棋士は基本的に洋装である。

 一方、日本化された将棋では世界的な大会がない※12。将棋に類するものは様々な国にあるが、異種格闘技のように、おいそれと対戦できないのだ。海外との交流が起きにくかったことが、将棋のタイトル戦で洋装の棋士の登場が遅れた一因にあろう※13

 囲碁でも、将棋でも、洋装の棋士の登場以来、タイトル戦は和装でなければならないという見解がそれなりにあるようだ。囲碁や将棋が日本に受け入れられていく過程で行われた盤の改良を踏まえ、この見解を整理すると、次のようになるのではなかろうか。

 タイトル戦では、日本仕様に改良された脚付きの盤が使用される。脚付きの盤は、床に座ることを前提にしているので会場は和室が選ばれる。和室で対局するからには和装でなければならない、と。

 だとすれば、伝来してから千年以上の歳月の中で、日本の生活習慣に合わせた改良が加えられた結果、囲碁や将棋は日本独自の文化に昇華されたと言えよう。ここに、囲碁や将棋が日本の伝統的な娯楽として確立されたことを見る。

 結局のところ、床に座って生活するという日本の伝統的な暮らしに合わせて改良された囲碁や将棋の盤という「もの」は、今日では翻って、使用される空間を限定し、さらには服装までも規定していると言えそうである。

 

 

 

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