問われる歴史研究の枠組(書評:榎本渉『僧侶と海商たちの東シナ海』講談社2010.10[文庫版:講談社2020.10])

著者: 恩田重直  投稿日: 2022/04/17, Sun - 10:00
『僧侶と海商』

 本書は、遣唐使が終焉を迎える9世紀から遣明使がはじまる14世紀に至る、5世紀にわたる東シナ海を通じた東アジアの交流を、中国へ赴いた日本の僧侶の足跡から描き出そうとするものである。タイトルに「僧侶」と並んで「海商」とあるのは、僧侶の中国への渡航手段として海商の存在に注目することによる。

 著者は、この古代から中世へと至る過程で、僧侶が日本から中国へ赴く渡航には3つの画期があると指摘する。遣唐使に代わり海商が台頭してくる9世紀、僧侶の渡航に対する制限が緩くなる12世紀後半、遣明使に頼らざるを得なくなる14世紀後半の3つである。そして、その画期で区切った4つの章でもって本書は構成される。

 各章では、日本の僧侶たちがどのように中国へ向かい、いかなる活動をしていたのかを、僧侶の記録と各国の関係史料などを突き合わせながら詳らかにしていく。結果、渡航のあり方が、中国での僧侶の活動を規定していたことを見事に浮かび上がらせる。教科書には書かれていないその顛末は、本書を手に取って存分に味わってもらうこととして、ここでは本書が歴史研究に与えた意義について考えてみたい。

 著者は「あとがき」で「自らの一つの研究整理とも言える内容となっている」(p.242)というように、自らの記述を相対化するかのように、本論の各所で参考文献、先行研究を引き合いに出す。論文であれば、多くが注釈にまわるであろう記述であるが、一般の読者を想定した注釈のない選書であるがために、それらは本文中に記される。反面、選書であるからこそ、論文では書きにくい推測も余すところなく書いており、読者の想像をかきたてる。

 一般書でありながら、引き合いに出される先行研究の多さからは、日本中世史や仏教史の研究の厚みが十二分に伝わってくる。一方、豊富な研究の蓄積からくるしがらみが垣間見えるのもまた事実である。それを端的に物語るのは、先行研究に対する刺激的な批判であろう。どれも的を得た指摘だと思うし、考証が伴っているので歴史研究の新たな地平を見出したと感じる。

 著者による先行研究批判は多岐にわたるが、本書を価値づける上で欠かせないのは、時代区分と対外関係史にかかわるものであろう。時代区分にしても、対外関係史にしても、著者が標榜する「東シナ海史」という視座に立てば、そうした枠組自体が無力であることに気付かされる。

 そもそも時代区分は、社会や文化の質的変化をとらえるための枠組なはずである。焦点を当てる事象によって様々な時代区分があって然るべきだ。しかし、古代や中世といった時代区分は、自明であるかのように政権による時代区分の延長でなされてきた。平安時代までを古代、鎌倉時代以降を中世といった具合に。

 近年でこそ、各政権の前後に目配りする研究が多くなってきたが、やはり政権に軸足が置かれていることは否めない。もちろん、政権による政策とのかかわりに言及するのであれば、必然的にそうならざるを得ない側面がある。けれども、本書のように東シナ海を研究の中心に据えた時、政権による時代区分は各国で異なることが露呈する。

 対外関係史もまた然りである。「対外」という言葉が端的に示しているように、そこには内なる自国からの視点が内包されているからだ。様々な国が利用することのできた東シナ海から見るのであれば、少なくとも各国関係史のような言葉に置き換える必要があろう。そこでは、それぞれの立場からの複眼的な眼差しが求められることになる。

 著者は、東シナ海という場所を設定したことで見えてくる歴史研究の新たな地平を、用意周到に「序章」でその意義を問い、本論で立証し、「エピローグ」で結論づける。それが一定の評価を受けたであろうことは、選書の刊行から十年を経て、講談社学術文庫として再刊されたことが、なによりの証しといえる。

 ところで、評者が本書を手にしたきっかけは、タイトルに「海商」という文字が踊っていたからである。しかも、主題である「僧侶」と並列に。本書が僧侶の渡航手段としての海商の存在に注目したものである以上、致し方ないのかもしれないが、海商への言及に物足りなさを感じざるを得ない。欲をいえば、海商にももっと迫ってもらいたかった。

 海商にとって僧侶の乗船は副次的なもので、目的はあくまでも「もの」を移動させることにあったはずである。著者は海商による日本と中国の往来のはじまりを新羅海商、唐海商に求めるが、それらの海商が僧侶以外に日本から運んだものに触れられることはない。僧侶が日本と中国間の渡航を当てにできるほど、海商が頻繁に往来していたのであれば、なおさら気になる問題である。

 航行の安定性や商人気質を考えても、海商は単に積載してきた貨物を売りさばいていただけではあるまい。また、東シナ海を股にかけた日本の海商がどのように登場してくるのかもよくわからない。僧侶とも密接に関係する寺社が貿易へ関与していたことをほのめかされれば、寺社と海商の関係も知りたくなる。

 海商への言及は、本書の焦点がぼけてしまうということもあるのかもしれないが、そこに日本史という枠組の呪縛があるように思うのは気のせいだろうか。とはいえ、著者は「海を通じた人や物の動きそのものに関心をもっている」(p.240)ということなので、今後の研究に期待したい。

 なお、本書は2010年に講談社選書メチエの「シリーズ 選書日本中世史4」として刊行され、まもなくして絶版になっていたようである。上述のように、2020年に講談社学術文庫の仲間入りをしたので、教科書で習った日本史とは一味も二味も違う内容を、手に取って堪能することをお薦めしたい。

 

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